世田谷ウォーキング同好会の有志は5月10日に旧中仙道の草津から京都三条大橋まで歩き、五街道全てを歩き切りました。仕事の合間に土曜や日曜を使って歩いたため実に10年かかったそうであります。私はフィニッシュの中仙道歩きに参加、足に大きな豆を作りましたが、五街道踏破の感激に触れることが出来ました。

最後の旧中仙道草津〜京都三条大橋区間↓ 平成17年5月10日

草津宿→野路の一里塚→瀬田の唐橋→義仲寺→大津宿→逢坂の関→山科駅→日ノ岡峠→三条大橋
品川駅を6時すぎに「のぞみ」に乗り京都駅に8時25分到着、東海道線で草津まで戻り、9時過ぎに草津駅前で記念撮影しました。 駅から10分ほど歩いたところに、『右東海道いせみち、左中仙道美のぢ』と刻まれた道標があります。ここが東海道と中山道の分岐の草津追分です。これより西を東海道と考えますと草津が中山道の終点ということになります。
草津宿には、昔からの名物「姥が餅」があります。乳母が幼児に与える乳房をあらわしている小さな餅で、おいしいです。 2つの街道が合流する草津宿はそれだけ規模も大きかったようです。わずかに当時の面影を残す草津宿街道を歩きました。
田中七左衛門本陣」が当時の姿をほぼとどめたまま公開されています。宿帳には新撰組などの名が記されています。
草津川を渡り大津市へ入っていきます

草津宿を過ぎてしばらく行くと「野路の一里塚」が復元されている小さな公園があります。その先には右手に「野路の玉川」の跡があります。伏流水として流れてきた水が湧き出して、一面に咲く萩とあいまって名勝・名水の地であったといわれています。

瀬田の唐橋」は、京の宇治橋、山崎橋とともに天下三名橋と言われています。また近江八景の一つ「瀬田の夕照(ゆうしょう)」として有名です。
ちなみに現代の三名橋は日本橋、錦帯橋(山口県)、眼鏡橋(長崎県) と言われています。

膳所の町と大津宿の中間に義仲、芭蕉の眠る義仲(ぎちゅう)寺があります。平氏を破って入京しながら、頼朝の命を受けた義経らにこの地で討たれた悲運の武将・義仲。彼を偲んで芭蕉はこの地で葬られるよう希望しました。

大津駅ビルで昼食、国道に出て長い坂を上がれば逢坂の関です。蝉丸が詠んだ「これやこのいくも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関」で有名です。

関跡から右の旧道入ると山科の町並みに入ります。地元の親切な人が案内してくれて細い旧道も見落とさずにすみました。坂道を上がっていくと日ノ岡峠に出ます。峠に亀の水不動があり、亀の口から水が落ちています。昔 この水で、人馬が乾いたのどを潤したそうです。昔は湧き水だったのですが、涸れてしまい、今は水道局から水を分けてもらっているとのことです。

県道に合流してそれを下ると三条通り入ります。蹴上浄水場のあたりはつつじがきれいです。このあたりは歩道が広くきれいで、とても歩きやすいです。浄水場の中はつつじで有名で公開してます
土下座している人物は、高山彦九郎。江戸中期に生きた勤皇思想家で、幕末に活躍する勤皇の志士に大きな影響を与えた人物です。これは、彦九郎が京都に来るたび、皇居に向かいひれ伏している姿を再現したものだそうです。 鴨川にかかる三条大橋。1590年に豊臣秀吉が造営させたもので、このときの橋脚の一部が、西のたもとに残されています。
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」でおなじみの弥次さん喜多さんの像が西のたもとにあります。

 

この日は京都洛北の八瀬かまぶろ温泉に一泊し翌日は春の比叡山に登りました。

本館(HOME)に戻る
写真館(HOME)
ウォーキング・ハイキング目次


 

inserted by FC2 system