あらたまの年の初めの開運祈念
平成22年1月10日

都鳥
隅田川七福神
七福神
「生きがいウォッチング」 生きがい世田谷の会 集合東武線鐘ヶ淵駅10:40~解散浅草駅15:30
隅田川七福神 地図

多門寺

多聞寺(毘沙門天)
本尊の毘沙門天は弘法大師の作とされている。昔村人達は、本堂の前に住む狸のいたずらで悩んでいたが、毘沙門天門下の禅尼師童子が狸をこらしめ解決したという伝説がある。
元旦から七草(7日)までが、七福神のご開帳で、訪問したときはもう過ぎていましたが、まだ大勢の人が押し寄せていました。多門寺を入ると左手に音羽信子らの「映画人の墓碑」があります。    映画人の墓碑

木母寺

木母寺(もくぼじ)(梅若塚)
平安末期隅田川に流されて来た少年僧の死体を見つけた住民が丁寧に葬った。少年僧は比叡山で修行していた吉田の少将惟房の子梅若が人買いにだまされ関東に売られたなれの果てであった。この実話が「隅田川」を生んだ。芸事の寺として信仰する人は多い。
梅若塚で知られる境内には、謡曲「隅田川」の碑など30基の石碑があります。著名なものとして伊藤博文の書による都内一の巨碑があります。巨大石碑

白髭神社

白髭(しらひげ)神社(寿老神)
祭神の猿田彦命は道案内の守り神ということから、お客を案内する千客万来、商売繁昌の信仰が生まれる。隅田七福神の中でなかなか見つけられなかった寿老人を、白い髭の長寿の神として白髭大明神にあてたことから「神」としている。
寿老人は手に杖を持ち、その杖には、人の寿命の長さを記した巻物が結びつけられています。                   寿老人

向島百花園 春の七草

向島百花園(福禄寿尊)
文化元年(1804)に骨董商佐原平八によって開かれた。 百花園に集まる江戸の町人文化を代表する文人粋人の発案で町起しとして隅田川七福神巡りが始まった。福禄寿尊像は開祖佐原鞠塢が本草の神として愛蔵信仰していたもの。福禄寿は 長頭短身の老人の姿で知られる神様で、出身地は中国。

向島百花園は国の史跡及び名勝に指定されています。四季折々の草花が植えられ、自然のままの趣を大切にする庭園となっています。都立公園。訪問したときは寒牡丹がきれいに咲いていました。
また、写真の七草は7日までは2400円、7日を過ぎて1,000円で売っていました。

向島百花園についてはこちらをどうぞ⇒

いかだ流しそば美舟音

美み舟ふ音ね(いかだ流しそば)
川の手グルメにランクインしている風流な日本そば店
いかだに乗ってそばが運ばれてきます。 又二階にはオーナーが収集した美人画や廊下に「鳴き竜」の細工が見られます。天ぷらそば1,500円ですが美味しかったです。              美人画 

言問い団子

言問(こととい)団子(茶店)
坪内逍遥の「当世書生気質」に記述されているくらい明治ではポピュラーであった。

      言問団子入り口団子は600円、3色入っています。

長命寺

長命寺(弁財天)
将軍家光が鷹狩りの際、腹痛を起こし、寺の井戸水を飲んで治まったことから、長命寺の寺号がある。また、長命寺といえば桜もちといわれるほど有名であり、高浜虚子に「桜餅 食うて抜けけり 長命寺」の句がある。
桜もちは葉っぱが3枚ついており、1個180円ですがとてもおいしい。
     長命寺 さくらもち 桜もち

弘福寺(布袋尊)

弘福寺(布袋尊)
豊臣時代小田原の鉄牛禅師が開山、黄檗宗中国風の特色を持つ名刹。布袋尊は七福神中唯一実在した中国の禅僧で弥勒の化身といわれる。咳の爺婆尊像は風外和尚が修業中、両親を偲んで刻んだもので風外の石像だから風邪にも強かろうと風邪除けの信仰を集めた。幕末には勝海舟が参禅している。 弘福寺が布袋尊を祀ってあるのは、黄檗宗が禅宗の中でも最も中国に近い宗派であることによるものと考えられている。

ここで集合写真を撮りました。下図ご参照

三囲(みめぐり)神社(恵比寿神、大黒神)
三井寺の僧 源慶が弘法大師創建の由来を持つ荒れた堂を再建したとき出土した神像の周りを白狐が現われ三回巡り消えたことから「みめぐり」の名が起ったとされる。宝井其角が雨乞いの最中「夕立や 田を見巡りの神ならば」と詠んだ結果、大雨が降り、雨乞いの神社として有名になる。恵比寿大黒像は越後屋(現三越)にまつられていたもの
        池袋三越のライオン移転旧三越池袋店のライオン

牛嶋神社

牛嶋神社
牛にちなんだものが多くある神社、なかでも狛犬と並んで左右一対の神牛が奉納されているのが珍しい。「撫で牛」は自分の体の悪いところと同じ部分を撫でると病気が治ると信じられている。

撫で牛

浅草寺雷門

浅草寺
浅草寺(せんそうじ)は東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺院である。山号は「金龍山」。本尊は聖観音(しょうかんのん)。もと天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。

2010年1月現在 本堂外壁修復・瓦葺き替えの大修繕工事中です。しかし、本堂の中は大勢の人で満員電車の状況でした。

集合写真

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